上島Stories

Kamijima stories

上島の遺跡② 岩城の考古学徒

2017年07月27日 有馬 啓介

旧岩城村地形模型  昭和43年5月時点での遺物出土地が記されています。

 「昭和27年3月越智郡岩城村西部八幡社裏山より土器石器等出土の様子を知り生徒数名と共に調査を実施する。その時、山杯、須恵器、鉄鏃等を発見した。その後昭和38年4月(中略)、岩城村小漕より後期縄文土器の破片を多数発見した。」(橋田武『岩城村埋蔵文化財の研究』昭和38年7月10日)

 当時、岩城中学校の教諭であった橋田武氏は、この著書の中で、岩城島から出土した遺物からその時代の生活や文化、環境の考察を試みています。現在の研究成果からすると受け入れがたい論も見受けられますが、橋田氏が教え子と共に実施した一連の調査は、岩城の考古学における記念碑的偉業です。

 橋田氏の意志を受け継ぐかの如く、岩城島や津波島での精力的な踏査を実施したのが児島公尊氏です。児島氏は、昭和20年代から30年代にかけて岩城島で少年時代を過ごしました。歴史好きな考古少年であったようです。進学や就職で10年ほど郷里を離れましたが、20代後半で旧岩城村役場に奉職することとなりました。休日になると野山を歩き、多くの遺跡を発見しました。津波島での新たな後期旧石器時代の遺跡の発見、岩城島の古墳時代後期の製塩遺跡である石風呂海岸遺跡の発見等、その功績は枚挙に暇がありません。また、佐島の宮ノ浦遺跡の発掘調査の端緒は、児島氏の製塩土器の採集でした。

 その後、児島氏は、芸予諸島の石造物の調査や弓削島荘の調査に尽力されましたが、近時帰らぬ人となりました。児島氏の遺された資料は多く、それらを整理することが、巨星の意志の受け継ぎであると感じています。

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