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上島の遺跡④ 山の景観と遺跡の調査

2017年11月29日 有馬 啓介

弓削島の久司浦集落 かつて久司浦集落の北側に位置する尾根上からナイフ形石器が採集されています。
弓削町『弓削町制施行50周年- 記念写真集-』平成15年 から

 弓削島で昔の生業や生活についての聞き取り調査をしている際に、昭和の前半頃の山の様子を聞くことがありました。

「山には松林が多く見られ、ソクダと呼ばれた落ちた松葉は油を含むため、燃料に適していました。ソクダを購入するために、他の島からやって来る人々もいました。たでる(船を長持ちさせるために、船底に付着した貝殻や船虫、海藻を焼くこと)際に、ソクダは重宝されました。また、アカマツやクロマツは、建築材としても利用されました。山は管理され、砂地がよく見えていました。」

 かつての瀬戸内海の森林は、主としてシイノキなどの照葉樹林で構成されていたと考えられています。人間活動や自然災害等により照葉樹林が失われると、その森林は松林か落葉広葉樹林になると言われています。古来、瀬戸内海では製塩業が盛んであり、その燃料の供給地として森林が利用されてきました。人間活動の活発化とともに瀬戸内海の島々には松林が増加し、重要な燃料となりました。家庭用のプロパンガスが普及すると山に人が入らなくなり、山が荒れていきました。聞き取り調査によると、子どもでもたくさんの松茸を取ることができたようです。それほど山が管理され、きれいだったということです。また、昭和の中頃までは、山の高い斜面まで段畑が見られました。

 遺跡の調査には、発掘調査と地表面の観察によって遺跡の状況を把握する調査があります。後者は、分布調査(踏査)と呼ばれており、この調査方法によって昭和30年代から50年代にかけて、芸予諸島で旧石器時代の遺跡が発見されていきました。山の景観が現在よりも分布調査に適してい たのです。

 

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