上島Stories

Kamijima stories

上島の遺跡⑨ 稲穂のある風景

2018年09月27日 有馬 啓介

岩城島の小漕遺跡周辺で出土した石庖丁

 瀬戸内海の島嶼部では、稲穂が揺れる風景は珍しく感じられます。山口県の平野で育った私にとって、水田は日常的な風景であり、その横を通って学校に行っていました。島を離れて、秋の黄金色に染まった稲穂を見ると、自然と肩の力が抜けるような気がします。水田が広がる風景は日本の原風景であるといわれますが、日本列島の長い歴史から考えると、比較的新しい風景です。

 約1万年以上もの長い間続いた縄文時代の次の時代は弥生時代と呼ばれ、日本列島で灌漑を伴う本格的な水稲農耕が始まった時代です。弥生時代は、紀元前5世紀頃から前方後円墳が出現する3世紀頃まで続きます。近年、九州北部で出土した土器に付着した炭化米について放射性炭素年代測定法と呼ばれる分析方法で年代を測定した結果、弥生時代の開始年代を紀元前 10 世紀頃とする研究成果も発表されています。

 一方、稲作農耕は、弥生時代に北海道まで伝播しませんでした。北海道では縄文時代からの文化が継続しました。これを続縄文文化と呼んでいます。また、南西諸島でも稲作農耕は受け入れられず、漁労活動が盛んな貝塚文化が続きました。しかし、このような時代でも交易は活発であったようです。北海道伊達市の有珠モシリ遺跡では、南海産のイモガイ製の貝輪が出土しています。

 岩城島の小漕遺跡周辺で発見されたサヌカイト製の打製石庖丁は、弥生時代にこの地で稲作農耕が行われていたことを示す石器です。石庖丁は、稲穂を摘み取る道具です。ここでは、瀬戸内海の島嶼部では貴重となった稲穂が揺れる風景を今でも眺めることができます。

一覧へ戻る