上島の遺跡⑩ 海を望む高地性集落
2018年12月03日 有馬 啓介
生名島の立石山遺跡
弥生時代は、日本列島で灌漑を伴う本格的な水稲農耕が始まった時代として知られていますが、発掘調査や踏査等によって、水稲農耕に不向きな山や丘陵で当時の人々の遺物が発見されることがあります。上島町内でも、そのような例があり、岩城島の積善山遺跡と生名島の立石山遺跡は、その代表です。
積善山遺跡は、岩城島のほぼ中心に位置する積善山の山頂部に位置し、山頂からは、西条市の八堂山遺跡や香川県荘内半島の紫雲出山遺跡等の瀬戸内海を代表する高地性集落を遠望することができます。山頂部の北側斜面からは今から約2千年前の弥生時代中期後葉の凹線文土器が出土しています。
立石山遺跡は、生名島北部の立石山の山頂部に位置し、昭和 50(1975)年の立石山学術調査によって、後期旧石器時代のナイフ形石器や古墳時代の須恵器が出土していますが、出土遺物の多くは積善山遺跡と同様に弥生時代中期後葉の凹線文土器です。また、山頂部のわずかな平坦地を覆う花崗岩群は、石神・磐座・磐境等から成り、これらは神々や祖先を祀る祭祀遺跡であると考えられています。
高地性集落は、主に大阪湾沿岸から瀬戸内海沿岸の周辺に分布し、その中には狼煙跡と推定される焼け土を伴う例や、狩猟用とは思えない大型の石鏃等の武器の出土がみられる例があります。しかし、上島町内で確認されている高地性集落では、出土遺物や遺構等から現段階では軍事的機能を証明することはできません。積善山遺跡と立石山遺跡は、臨海の集落と密接に関わりながら、海上交通のランドマークとしての機能を備えていた可能性があります。