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上島の遺跡⑪ 製塩の歴史

2019年01月28日 有馬 啓介

 佐島の宮ノ浦遺跡と燧灘

 近頃、テレビ番組で戦後間もない時期の海水を利用した製塩が扱われました。それを観ると人間にとっての塩の大切さを再認識することができました。上島町には、古墳時代から昭和時代までの製塩の歴史があります。今回は、日本列島における製塩の歴史を概観してみたいと思います。

 日本列島には岩塩がなく、古くから豊富にある海水から塩を作りました。日本列島は、海に囲まれていますが、雨が多く湿度が高いため、製塩にはかなりの燃料と労力を必要としました。瀬戸内海沿岸は、波が静かで、遠浅の海岸が広がっています。また、晴天日数が多く、雨の少ない地域です。そのため、瀬戸内海沿岸では塩田(古くは塩浜)が発達しました。

 日本列島における製塩の始まりは、関東や東北地方の一部の地域で縄文時代後晩期まで遡ることができます。当時は、海水を土器で煮詰めて塩を得ていました。古墳時代の製塩土器は、日本列島各地の沿岸部で確認されています。土器を使った製塩は、奈良・平安時代まで続きます。

 塩の需要が高まると、新たに塩田を利用した製塩が行われます。塩田による製塩には、人力で海水を汲み上げて塩田に海水をまく揚浜式と潮の満ち引きを利用する入浜式があります。中世の上島町域の島々では、揚浜式の製塩が行われていました。江戸時代になると、日本列島では入浜式塩田が本格的に成立します。第二次世界大戦後には流下式塩田が広まり、入浜式塩田は姿を消しました。昭和40 年代後半以降、製塩はイオン交換膜法で行われるようになり、塩田はその役割を終えました。

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