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上島の遺跡⑫ 製塩土器と藻塩焼き

2019年04月01日 有馬 啓介

石風呂海岸遺跡(岩城)採集の製塩土器片

 上島町の沿岸部では、塩づくりに使用された製塩土器が出土しています。上島町内で出土した最も古い製塩土器は、脚台式製塩土器と呼ばれるブランデーグラスに似た形の土器です。その土器の年代は、古墳時代前期(3世紀頃)と考えられています。古墳時代の製塩土器は、日本列島各地の沿岸部で確認されていますが、沿岸から遠い地域でもその出土例があります。それらは運搬容器として利用されたとする説があります。

 上島町内で製塩土器が確認された遺跡として、佐島の宮ノ浦遺跡、岩城島の石風呂海岸遺跡と赤石遺跡、豊島の豊島明神遺跡、魚島の大木遺跡等が挙げられます。宮ノ浦遺跡では、主として古墳時代前期の脚台式製塩土器が出土していますが、石風呂海岸遺跡では、踏査によって主として古墳時代後期(6世紀頃)の芸予型製塩土器と呼ばれる鉢形の製塩土器が採集されています。

 土器を使用した製塩では、しばしば藻塩焼きの方法が指摘されます。藻塩焼きでは、干したホンダワラ等の海藻を焼いてできた灰塩を使用したと考えられています。そして、灰塩に海水を注いだり、干した海藻に海水をかけたりして鹹水(かんすい、濃い塩水)を作り、製塩土器を使用して煎熬(せんごう、鹹水を煮つめて塩を作ること)を行ったとされています。淡路島での藻塩焼きの様子は、日本で最も古い和歌集である万葉集の歌に詠まれています。藻塩焼きで鹹水を作ることは、燃料である木材の節約になりました。

 平安時代後期(11世紀頃)になると、塩の需要が増大するのにともない、塩田による製塩法が生まれました。やがて、「塩の荘園」として著名な弓削島荘が歴史に登場します。

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