上島の遺跡⑭ 弓削島の久司山古墳群
2019年08月01日 有馬 啓介
久司山4号墳の横穴式石室
令和元年7月6日、第43回世界遺産委員会は、世界文化遺産へ推薦を行っていた「百舌鳥(もず)・古市(ふるいち)古墳群」について、世界遺産一覧表へ記載することを決定しました。百舌鳥・古市古墳群は、日本最大の前方後円墳である仁徳天皇陵古墳(大阪府堺市)を含む大阪府に所在する全49基で構成される古墳群です。これらの古墳は、古墳時代の最盛期であった4世紀後半から5世紀後半にかけて、当時の政治・文化の中心地のひとつであり、倭国と大陸を行き来する航路の発着点であった大阪湾を望む場所に築造されました。
弥生時代に後続する古墳時代は、高い墳丘をもつ墓である古墳の出現によって設定されました。水稲農耕の発展にともない、各地に政治的支配者層が出現し、百舌鳥・古市古墳群等に象徴される畿内の政治勢力を中心に各地の政治勢力が連合を形成していきました。古墳時代は、3世紀中頃に始まり、7世紀まで続きます。
上島町内で最も保存状態が良好な古墳は、弓削島の南端、弓削鎌田地区にある久司山古墳群です。久司山古墳群の中で実態が分かっているものは、2号墳と4号墳です。いずれも上島町指定史跡であり、久司山から派生する尾根上、すなわち海岸から離れた高台に位置しています。両古墳は、花崗岩で構築された横穴式石室を有する円墳であり、近隣で採集された須恵器等の年代から6世紀後半に築造されたと考えられます。
久司山古墳群は、海上交通や製塩等に関わり、この地域を統治した豪族(支配者層)の墓と考えられ、海上交通路を見下ろす高台に築造されました。古墳の築造された場所は、当時の支配者層にとって重要な意味をもちました。