上島Stories

Kamijima stories

かみじま郷土話② 「塩の庄園」生名島・岩城島・佐島

2020年08月03日 曽根 大地

 生名島での製塩作業の様子(昭和29年)

 前回は、私が学生の頃、弓削島へ来て庄園について学習した話をしました。中世の弓削島は、「塩の庄園」として塩を東寺に貢納していた事は有名ですが、石清水八幡宮の庄園であった生名島や岩城島、佐島もまた同様に、石清水八幡宮へ塩を納める「塩の庄園」でした。岩城島に伝わる和歌には、「いよの海 岩木の島は我なれや あふことからき 塩の身ぞ焼く」とあり、古くから盛んに塩づくりが行われていたことがわかります。現在も、製塩作業に使用した道具や、作業を撮影した写真などを大切に保管されている方も上島町に居られます。

 塩づくりは、弓削島では明治時代に終わりを告げたのに対し、生名島・岩城島では、昭和46年まで続けられました。歴史の調査を進めていると、生名島や岩城島では、海岸近くに広がる塩田の風景を覚えている方や、実際に塩づくりの作業に関わっていた方がおり、お話を聞くことができます。上島町では、現在すべての塩田が廃止されて失われてしまいましたが、この町に住まれている方々の記憶には、まだ町の歴史を知る手掛かりが多く残されていると感じました。

「庄園」の漢字について

 現在の教科書などでは、一般に「荘園」の漢字が使用されますが、古文書などでは「庄園」の漢字が使用されています。どちらも読み方は「しょうえん」です。

製塩作業経験者による製塩体験風景(弓削島鎌田製塩体験会)

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