かみじま郷土話⑤ 大田林の塩浜
2021年02月01日 曽根 大地
大田林の発掘調査
弓削島の久司浦地区には田林(たなばし)という小字があります。久司浦地区の海岸沿いに鎮座する大森神社から北方向に進んでいくとたどり着くことができます。田林の海岸からは、因島村上水軍が築いた美可崎城跡(因島)や、向島などを身近に見ることができるほか、田林からさらに東へ進んでいくと弓削島北端の岬である馬立ノ鼻があります。
応長元年(1311)の「伊予国弓削島庄田畠山林塩浜以下相分帳」(東寺百合文書WEBヨ函74)の記録には「タナハシ」という名で登場し、塩穴が存在したことを読み取ることができます。田林は、集落がある西側の平地を小田林(こたなばし)、畑や山林が広がる東側を大田林(おおたなばし)と呼び分けられており、令和元年度に行った塩田の調査では、集落がない大田林で発掘調査を行いました。調査では、硬く叩き締められた土の層である浜床(はまとこ)を見つけることができ、出土遺物や炭化物の自然科学分析の結果から、庄園時代においてこの地で塩づくりが行われていたことの裏付けをとることができました。
別の地区では、民家の床下を調査させて頂いた時、貯蔵穴の壁面に浜床が見えていました。島の住民の方によると、畑を耕していた時に浜床と思われる硬い土の層が現れたといった話を聞くこともできました。大田林のような昔の人々による塩づくりの活動の痕跡が、今も島のあちらこちらに残されていると思われます。