かみじま郷土話⑥ 陸地だった瀬戸内海
2021年04月01日 曽根 大地
弓削地区・生名地区出土のナイフ形石器(『愛媛県史』資料編 考古の写真を基に作成)
今から約7万年前から1万年前のころ、世界はウルム氷期と呼ばれる氷河期の時代となっていました。気温は現在よりも6度から10度ほど低く、海面は80mから140mほど低下していたといわれています。瀬戸内海の平均深度は38mなので、現在の海域一帯は植物が生い茂る大草原となっていました。また、大陸と陸続きになっていたため、ナウマンゾウやオオツノジカ、ヘラジカといった大型獣が、エサとなる植物を求めてこの大草原で生息していました。魚島周辺など、瀬戸内海の海域では漁網を引き揚げる際に、これら生き物の化石が発見されることがあります。
昭和30年から50年代にかけて、芸予諸島の各地で旧石器時代のものとみられる石器が発見されました。
上島町では、弓削島の弓削鯨遺跡(久司浦地区)、高浜八幡神社、日比、楡田や生名島の立石山、佐島、津波島などでサヌカイト製のナイフ形石器が発見されています。瀬戸内海が陸地だったころは、現在私たちが暮らしている島々は小高い丘陵地でした。大草原で生息している大型獣を狩猟の対象として生活していた当時の人々は、襲われる心配がないこのような高所を拠点として生活していたものと思われます。瀬戸内海が現在のような風景になるのは、気候が温暖になり海面が上昇する1万年前以降の縄文時代早期からといわれています。厳しい氷河期の時代を生き抜いた人々は、環境の変化に対応しながら、今日までその生命をつないできました。