塩田の記憶と古写真
2016年01月27日 有馬 啓介
立石港と深浦塩田(昭和36年頃) 生名村誌編纂委員会編『生名村誌』生名村 平成16年 から
地域に根ざした地域学は、全国各地で地域住民が主体となって展開されています。上島町のお隣の広島県尾道地域で取り組まれている「尾道学」は、その好例です。地域学に向き合い、精力的な活動を行っている市民団体・尾道学研究会の発足10周年を記念した写真展が尾道市内各所で開催され、私は向島の会場に足を運びました。「塩田の記憶と造船」というテーマで、戦前・戦中・戦後にわたって活躍した郷土写真家の土本壽美氏の撮影した貴重な記録資料が展示されていました。
塩田と造船。平成の時代の上島町で生きる私たちにとっても、後者は身近なものです。造船所のドックに入った大きな船や空高くそびえるクレーンは日常の風景であり、多くの方々が造船業やその関連業に従事されています。
一方、塩田といえば、少し前の朝の連続テレビドラマのロケ地となった能登の塩田を思い浮かべる方が多いと思います。確かにかつて瀬戸内海のいたるところにあった生業の場としての塩田を見ることは困難です。中世には東寺の「塩の荘園」であった弓削島の塩田は、明治17年(1884年)には堤・明神・引野の三浜に見られましたが、第1次塩田整理により明治時代の終わりにはその姿を消しました。また、生名島と岩城島の塩田は、製塩方法を変えて入浜式塩田から流下式塩田となりますが、昭和46年に廃止されました。
昭和30年代まで盛んであった製塩業の記憶を記録として後世に残すために、実際に従事されてきた方々への聞き取り調査や塩田を記録した古写真及び製塩業に関わる民俗資料の収集の必要性を感じています。