景観についての覚書
2015年10月27日 有馬 啓介
傾斜地を利用したみかん園 岩城村役場『村勢要覧 いわぎ』昭和49年 から
「富士山は、そこに人々の生活や文化があるから富士山なのであって、そうでなければ、地球上の一突起物にすぎない」。瀬戸内海の島々を眺めながら、以前にそのような言葉を耳にしたことを思い出しました。
昭和9年(1934年)、瀬戸内海は、九州の雲仙や霧島とともに日本で最初の国立公園に指定されました。当初の指定区域は、東の小豆島から西の鞆の浦一帯の陸域や海域で、備讃瀬戸を中心としたものでした。その後、昭和31年(1956年)5月1日の第2次拡張によって、上島諸島及び魚島群島の島々も瀬戸内海国立公園に追加指定されました。
瀬戸内海の景観は、先人の営みによって形成されてきました。自然景観や人文景観といった用語がありますが、古来より人・モノの往来が盛んであった瀬戸内海は、それらの景観が重なり合っています。海に近い島の集落周辺のみならず、後背の山々にも人々の生活の痕跡が見られます。
かつて、私は中部山岳国立公園が眼前に広がる飛騨地方で生活したことがあります。同じ国立公園でも瀬戸内海と飛騨山脈とでは、その景観を目の当たりにした時の心の襞の動きが、若干異なるような気がします。しかし、私にとっては、どちらも大好きな景観です。
塩田、段々畑、溜池、石切場等の生業の景観は、それが別のものに変わったとしても、現地でその証跡を確認できることがあります。それがフィールドワークの楽しみでもあります。