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上島の遺跡⑦ 海に眠る遺跡

2018年06月13日 有馬 啓介

弥生土器が発見された魚島の篠塚漁港

 水中考古学を取り上げた新聞記事が目に留まりました。水中考古学が産声を上げてから半世紀以上が経ち、日本でも調査事例が増えつつあるようです。平成24年に、長崎県松浦市にある蒙古襲来に関わる戦場跡である鷹島神崎(たかしまこうざき)遺跡が水中遺跡として初めて国の史跡に指定されました。1281(弘安4)年の弘安の役で沈没した元軍の船団の船体の一部や積み荷が鷹島沖の海底でまとまって確認されました。

 今から約7万年前に始まり約1万年前に終了した最終氷期であるヴュルム氷期を過ぎると地球温暖化のため海水面は上昇しました。陸地となっていた瀬戸内地域には海水が流入し始め、縄文時代早期には現在のような瀬戸内海の地形が形成されました。弓削島や津波島では、これまでナイフ形石器をはじめとした後期旧石器時代の石器が発見されており、周辺の海底にはその時代の遺跡が無数に水没していることが考えられます。

 芸予諸島やその周辺では、底引き網や潜水漁、港の工事、浚渫等で海底にある遺物が発見されることがあります。今治市の波方港では、フェリー発着場の工事の際に海底から縄文時代後期の注口土器が引き上げられました。魚島の篠塚漁港では、浚渫の際に海底から弥生時代中期前葉の壺形土器が引き上げられました。中世以降の海運の発達とともに、海底から引き上げられる資料は増加するようです。

 文献資料の中には、近世以降の瀬戸内海での遭難や座礁についての海事記録が多く見られます。水中考古学の進展がそのような悲しい海難事故の実態を明らかにするのかもしれません。

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