港町と住まい
2016年07月26日 有馬 啓介
上弓削の町並み(昭和30年代) 愛媛県歴史文化博物館蔵(故村上節太郎氏撮影)
上島町にある町並みの多くは、歴史的な背景から考えると、港の周辺に形成された港町です。港町には、かつては主として海運業や漁業に従事する人々の住まいが立ち並んでいました。
明治13年(1880年)に出された『伊予国越智郡地誌』から、佐島・上弓削・下弓削・魚島・生名・岩城の村々で所有した船舶の数を知ることができます。漁船だけでなく、多くの商船が見られます。商船は、積石数(満載した時の積荷の重量を米の石数で表したもの)が50石未満のものが多くを占めていますが、僅かですが200 ~ 500石の大きさのものもありました。
時代が遡り、日本列島における中世の港町は、大陸との貿易船が寄港し、荘園の年貢の積出で栄えた瀬戸内海沿岸に集中しています。尾道や鞆の浦は、中世の瀬戸内海沿岸を代表する港町です。弓削島荘及び石清水八幡宮の荘園であった島々の港も年貢等の積出港の役割を担っていたと思われます。その後、江戸時代になり、航路が「地乗り航路」から「沖乗り航路」へと移行すると、御手洗(現在の広島県呉市)等の港町は、新たな繁栄を迎えました。上島諸島周辺の航路は、鼻栗瀬戸、岩城、弓削瀬戸、鞆の浦を通りました。
上島町の古くからある町並みには、地域の特徴をよく表した住まいが今も見られます。その意匠に、腰なまこ、焼杉、鏝絵(こてえ)等が挙げられます。それらの住まいに見られるデザインは、単なる意匠ではなく、耐火性・耐久性といった機能も付与されています。海と共に栄えた町並みを船から眺めた後、ゆっくりと細い路地を散策すると新たな発見や感動に出会えるかもしれません。